大先生の一言

本 多 君 、 一 緒 に 帰 り ま せ ん か 。

*私が独身時代、同じ方向に御自宅があった大先生に声を掛けて頂いた一言

大先生との会話の中であるがままに自分を飾らない生き方こそ真の強さだと感じました。

 自衛隊の営内生活をしていた独身時代、合氣道関連の行事があった後、同じ方向に御自宅がある大先生に、「本多君、一緒に帰りませんか?」とお誘いを受け、タクシーの後部座席に大先生と座って帰ることがよくありました。ある宴会の帰り、いつものようにタクシーに同乗した私は、酒の勢いもあって「先生、空手は剛で、合氣道は柔ではないかと質問されたことがあるのですが」と答えを求めたところ「本多君、あなたは空手をやったことがあるのですか。」「ないです。」

「それなら、分からないことは、分かりません。と答えたが良いですよ。」
と大先生は即答された。

 大先生をお見送りした後、タクシーの運転手が私に「今、降りられた方は何かをされてる達人の方ですか。」と言われたので「そうです。」と答えました。

 あるがままに自分を飾らない生き方こそ真の強さだと感じました。 

本多理一郎 記

 9月1日(土)から2日(日)にかけて連盟夏季合宿交流会が阿蘇市の連盟本部道場で開催され、九州 各地から51名の連盟会員が集まりました。初日の指導を豊心館の豊田館長、親徳館の私、翌日は、祐 気会の宮原道場長が、それぞれ約1時間30分の持ち時間を有効に活用し、大先生から学んだ合氣道を 独自の視点で指導、中味の濃い交流会になりました。終了後、阿蘇プラザホテルで懇親会、宿泊をし、美 味しい阿蘇牛、飲み放題のビールで深夜遅くまで語り合い親睦を深めました。なお、親徳館からは、本田 五段、北原初段、小野5級、私の4人が参加しました。

 9月24日(土)大先生の下で一緒に稽古し、現在、東京の新宿で春風館合氣道として活動している橋口賢治館長とお弟子さんが来熊されたので市内の居酒屋で親徳館の歓迎会をしました。

        別   世   界     弐段  男澤 孝芳

 満61歳で始めた合氣道も丸8年を迎え、年齢も69歳になった。何もかもが疑問で自分なりに色々工夫したり先輩の話を聞いたりして、それなりに解消はしてきたが、未だに呼吸力の何たるかには到達できないでいる。入門したての頃読んだネット情報では、合氣道は弐段になると別世界が待っていると書いてあった。続いて四段になると更に次の別世界が開けるとのこと。私の入門当初の目標は、とにかく黒帯を目指していました。それが三年で叶うと何だかぽっかりと穴が開いたようで、正直少し気が抜けていました。年齢を重ねるごとに体力が落ち、怪我も多くなり自然と体も動きがかなり鈍くなってきました。ただ、ウエッキー道場を開設さしてもらった為の責任感で続けてきた感も否めません。遠いと思っていた弐段にしてもらい、果たしてそれに相応しい実力が備わっているかと、非常に不安な自分がいます。ただよく考えてみると、そんなことを先生は望んではいないようです。私の体が動きにくくなってきていても、今までの種々の疑問を追い求めてきた経験があるのではないか。それを後輩の方々に少しでも伝えるのがその意義ではないのだろうか。先生の考えはきっとそうだろうと思える。そういうことを考えると少し肩の力が抜けていくようです。この力を抜くのが本当に出来るようになれば、晴れて別世界が開けて来ると思われる。持病の心臓病は治療しても決して良くはならない。年々少しずつ悪化しているのが自分なりに感じられる。だからいつまで続けられるかわからないが、当面、受け身が出来なくなるまでは、はるか先のその先の別世界を目指し続けることになろう。呼吸力も自分なりに考えて誰にでも長い修練を重ねなくても出来るようにならないかと、これからは多方面から考えて、少しでも先生のご指導のお手伝いができるように、頭が回転しなくなったけど努力してみます。

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