私の合氣道は、まだまだ 未 完 成 、命尽きるその時まで 未 完 成 、精 進 あ る の み で す 。
※ いつだったか忘れましたが、朝、目覚めて、思いをメモし、机の上に置いていた私のつぶやき
小学校、中学校と親徳館合氣道で稽古していた春成知寛君が、今年の熊本県高校総体弓道男子個人で2連覇を果たし「いつも道り、真ん中に矢が行くように心がけただけ」と淡々と優勝を振り返り、双子の兄の宣毅君も、3位になる活躍を熊日新聞で見て嬉しかった。5月18日(土)に、日本合氣道普及連盟の交流会が阿蘇の本部道場であり北星館の浜田館長、双平館の衛藤館長の指導の下集った51人が稽古を行いました。なお、親徳館からは本田五段、加藤参段と私の参加でした。今後の予定ですが8月4日(日)午前に植木武道場で親徳館合同稽古を行い、午後はバーベキューによる親睦会を予定しています。細部は後日連絡します。
本多理一郎 記
合 氣 道 を 始 め て
初 段 中 尾 主 助
合氣道を始めて丸二年が経ちました。受け身もやった事のない素人の私が、二年で「武道の段」をいただけるとは始めた当初は全く想像のつかない事でしたし、正直、合氣道初段になるという実感はありません。合氣道を、やろうと思ったきっかけは、長女の中学校進学で初めて部活をする話を聞いて、「自分も何か始める良い機会だ」と思ったからでした。それまで、部活や習い事は一切させてこなかったので、何か壁に当たった時に「自分も挑戦してないと助言できない。」と思い以前から興味があった「護身術」を習う決意をし、インターネットで探し始めました。始めは、実践的な「クラブマガ」や「ジークンドー」等を近くでできないか検索するも全くヒットせず、次に「合氣道」が頭に浮かび、ネット上に出てきた道場の中で、会社から一番近く、月謝の安い「親徳館合氣道」に電話をし、当時はまだコロナ禍の時期でしたが、やっているとの返事に安心したのを覚えています。その頃の合氣道のイメージは、「あまり実践的ではないが、日本武道の基本的な身体の使い方や柔らかい受け身が出来る」ぐらいのもので、魅力としては、木剣、杖等の武器技があることでした。護身術に武器は必須と考えていたからです。いよいよ初稽古の日になり「とにかく最初は、受け身の練習で終わるだろう」と覚悟していたら、いきなり皆と同じ稽古に入ったので驚きました。礼拝、準備運動、膝行、突き、横面打ちの体捌き等、人生で今までやったことのない動きに、身体も頭も付いていかず、そのまま技の稽古に入り、何一つまともに出来ないまま、一時間の稽古は終わって、帰ってから動いてみても、ほとんど覚えていなかったので、とにかく間を空けず稽古に行けるだけ行く事を決めました。それから週4回ペースで道場に通い、正座や膝行をするだけで痛かった足や膝が漸く慣れてきた入門五ケ月後に「親徳館合氣道五級」を頂いた時には、「さあ、今から合氣道の山を登っていくんだ」と入口に立った気持ちになり、高揚したのを今も時々思い出します。それまでは、武道をすれば、道場にさえ通えば、勝手に自然に心も身体も強くなるんだと思ってました。でも、違いました。キツイから、忙しいから、色々理由を付けて稽古を休むことは出来ます。それらが、全部自分に返って来て強くなる事が出来ません。全ての事に共通しているように感じました。一日一日一歩一歩が大事で、近道はない。出来なくても苦しくても、やるしかない。そして一人では出来ない。稽古相手、稽古できる環境を作ってもらってる家族に感謝し、今後とも合氣道を続け精進します。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。