人それぞれに、それぞれの役割があって、己の決めた道を真っ直ぐに進めばいいと思う。
※故宮原明雄祐氣会々長のお弟子さんに出会った時の私のつぶやき
令和5年秋のお彼岸9月23日に、阿蘇市阿蘇体育館武道場で「第2回阿蘇火の山旗合氣道演武会」が4年ぶりに開催され、阿蘇市長をお迎えして盛大に日本合氣道普及連盟の各道場の仲間と共に、日頃の練習成果を出し合い披露することができました。演武会終了後は、木村功育翔館々長と私が、師である砂泊先生が生涯をかけて探求されてきた呼吸力を、私達の分かりうる最高の範囲で指導させて頂きました。親徳館からの参加者は、短剣技で、投げ本田耕太郎五段、受け中尾主助2級、館長演武で私の自由技の受けを加藤友美参段に取ってもらいました。全力でぶつかったので満足できる演武ができたと思っています。お彼岸とゆうことで今年の春に逝ってしまった故宮原明雄七段(祐氣会初代会長)を思い出しました。長崎道場で私よりも2年程遅れて入門したものの5歳程年上で兄貴のような存在でした。私が昨年春「合氣道に魅せられて」の本を出版した折にはとても喜んで頂き、即15冊もの注文をして頂き感激しました。「木村君は、阿蘇に砂泊先生の思い描いていた立派な道場を建てた。本多君は砂泊先生の想いを本にして出版した。自分は何も残せなかった」とスマホで話されたことがありました。この交流会で中田重行という佐賀大学合氣道部主将と出会い、彼が小学校から合氣道を始め、宮原さんの弟子でである事を知りました。立派な青年で、宮原さんは未来に砂泊先生の想いを繋ぐ人材を育てられたんだと思います。人それぞれに役割があり活かされていくものだと思いました。
本多理一郎 記
私 の 合 気 道 を 振 り 返 っ て
参 段 小 松 新 太 郎
この度、合氣道参段の允可を頂き、ありがとうございました。私は、中学生の頃に合氣道を知り、近くでやっていた他派の道場で、今の私くらいの年齢の先生が屈強な大人を何人も簡単に投げていたのが格好良く、自分もやってみたいと思い入門しました。 その後、砂泊大先生の「合氣道の心、呼吸力」を読み、いつか習ってみたいと思っていたところ、社会人になって長崎へ転勤となり、当時の万生館合氣道長崎道場で野口先生の手を取らせて頂き、今まで教わっていたものとは異なる万生館の呼吸力に感動し、その場で入門させて頂きました。 そして、毎月開催されていた有段者研修会で、憧れていた砂泊大先生の手を取らせて頂き、結ぶ呼吸力を体験させて頂きました。本多先生とはそこで初めてお会いしご指導を頂きました。長崎から熊本に転勤して、本部道場で朝晩の稽古、城北道場にも何度か稽古参加させて頂き、1年程度で広島に戻りました。砂泊大先生がよく仰っていた「相手の欲するところに任せる結ぶ」呼吸力を目指していましたので、、若い頃からご指導を頂いていた広島の先生と稽古した際に、流れのある合氣道になっていると感想を頂いた時は大変嬉しく思いました。ただ、仕事が忙しくなり、次第に稽古も数年と離れていましたが、本多先生から「熊本で稽古されてる方が広島に戻るのですが、親徳館の稽古を続けたいと希望されており、一緒にされてみてはいかがですか」と新たな御縁を頂き、広島に新しく道場を開設させて 頂きました。お陰様で今年の夏で3年目を迎えました。週1回の稽古で、途中コロナで長期間、稽古ができない状況が何度かありましたので、続くかどうかの不安もありましたが、子供達が早く稽古をしたがっていると聞いて嬉しく、できる限りのことはしたいと続けています。そして遠距離にもかかわらず送迎される親御様にも感謝しております。この夏に、新しく入門された方は、私より人生の大先輩で、身体もしっかり鍛えられて探究心のある方で一緒に稽古することで新たな発見もあり、いつも稽古を楽しみにしております。今後も皆で気長に楽しみながら、続けて行こうと思います。
今年も咲いた我家の曼殊沙華(彼岸花)