大先生の一言

座っているだけでは 雑 念 しか 湧 か な い、 人 間 は 動 く よ う に 出 来 て い る か ら
               動 き の 中 か ら 悟 れ て こ そ 本 物 で す 。

*平成4年2月16日 有段者研修会での大先生の一言

良かったことも、悪かったことも皆、私の人生。私の心と身体に沁みついています

 私は百日咳、骨折や脱臼、風邪をひきやすかったり身体の弱い子供だったので、運動が苦手で特に球技などは不得意でした。そのためか一人で絵を描いたり、すぐ上の姉と歌を一緒に歌ったりするのが好きでした。父からは、「また絵ばかり描いて」と叱られたものでした。その頃は生活に直結していない仕事など良くないことと決めつけられた風潮でしたので、子供心に罪悪感がありました。15歳で合氣道と出会って、運動の苦手な私が何故か惹きつけられました。また、大先生の演武会を観た父が「この先生の合氣道なら一生続けろ」と言ってくれたのは、力強い後押しでした。     

本多理一郎 記

      私 な り の 合 氣 道 を      

四段  河村ただ孝

 50の手習いと挨拶し入門して10年の月日が経ちました。入門して3日目に体捌きが出来ずにやめようと悩んだのが懐かしい。もし、あそこでやめていたらこんな楽しい人生じゃなかったかもしれない。 
 今回、合氣道四段、親徳館合氣道准師範の允可を頂きました。今まで初段、弐段、参段と戴く度に、病気が発覚し合氣道が出来なくなるのかなって不安でした。どうにか稽古できるようになりましたが今 回の病気はきつかった。でも、合氣道が私にとって生活の活力にもなっているので、ボチボチでも稽古に行くようにしています。しかし、稽古出来るようになって感じたのは思ったよりも出来てないことでした。気付いたときはショックでしたが、落ち着くと冷静に自分を見ることができました。年数じゃないんですね。出来ない時はできない。事実を見つめて自分なりの稽古をすることが大事なんだと思いました。身体が動かないなら力を抜いた稽古をするチャンスだと試していますが、上手くいかないのが現実です。
 今年の1月に、私が合氣道を薦め弐段までなった会員の男澤孝芳さんが亡くなられました。私よりも半年ほど遅く60歳を過ぎて入門された方でしたが、私が還暦になった今、振り返ってみるとよく稽古を頑張られたなとつくづく実感します。男澤さんがいたからこそ半年先の先輩でいなければと私も頑張れたと思います。
「植木町を合氣の町にしたいね」って、
ウエッキーの男澤さんの店のカウンターを挟んでよく話していました。
「男澤さん、天国で合氣の町作れたらいいですね。」
その男澤さんがウエッキー道場が閉鎖になった時に「ウエッキー道場復活させたいんだよね」って言われていました。あんな病気でやせ細っていたのに凄いなと思いました。
 合氣道がしたくても、何らかの理由で出来なくなった会員も多くいると思います。 
 今、合氣道をできることに感謝し、これからは、「人を羨まず、マイペースで自分なりの合氣道」を求め続けて行きたいと思います。

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