大先生の一言

合 氣 道 に 縁 を 持 て た こ と を 大 切 に し て く だ さ い 。

*昭和53年5月11日、私が参段の允可状を頂いた時に話された大先生の一言

昇段昇級は、その人の実力と精進に応じて館長が允可するもの。勝手な判断を反省しました。

 5月3日、本部道場に掲示された「参段 本多理一郎」の名前を確認した時、嬉しさと共に不安と責任を強く感じました。未熟で実力もない私が、本当にその資格があるのだろうかと心配だったからです。そして、私は本部道場の神棚の前に一時間ほど正座して自問自答しました。どう考えても自分には身に余る光栄と思え断ろうかとも思いました。真剣に悩んでいるとき、期せずして放屁してしまいました。その時、私が思ったのが「あるがままに、任せれば良い。今、ここに縁があることを大切に生きよう。」という結論でした。合氣道の級や段は、実力と共にその人の精進を館長が判断して允可するものです。自分の判断で昇段を考えていた高慢さを反省させられた時でした。

本多理一郎 記

生涯追い求め続けるべき道(前編)    五段  本田耕太郎

 私が合氣道を始めたのは大学の合氣道部への入部からで、その濃縮された3年半程が、今でも心身共に私のベースになっていると思います。
 振り返ってみると懐かしい記憶ばかりですが、入部した大学の合氣道部及び九州学生合氣道連盟が所属していた合氣道が、地元熊本に本部道場がある、これこそがと思えていた前身の合氣道で、社会人になってからも本部道場に通うことができ、本多館長先生が、私の地元の町に家を建てられたことが御縁で、支部道場立ち上げにお声をかけていただき、それから今の親徳館合氣道に至るまで、身を置かせていただき、合氣道を続けてこられていることに、恵まれてきたと思い、感謝しております。
 前述の前身の合氣道の城北道場の時期に、途中から稽古に行くのが難しくなり、その後も新年を迎える度に、今年こそはと数回稽古に顔を出したかと思えば、また休会というようなことが何年か続いたと思います。その間も、ある程度、体は動かしていたこともあり、復帰もまだ大丈夫と自分に言い聞かせながらも、今度復帰する時は、もう三日坊主は見苦しい、覚悟を決めてながらも復帰しないと顔を出せないと思っていた頃に本多先生から「今度、城北道場の10周年の演武会をするんだけど・・・」というお誘いのお電話を戴きました。ショックだったのは、”出てくれないか?”ではなく、”見に来てくれないか?”と言われたことでした。それは当然のことで、自覚し、当日、演武会を見に行きました。素晴らしい演武会でした。そこには私が休んでいる間も続けて頑張って来られていた方々の姿があり、演武を観て、「自分はこれまで何をやってきたのかと恥ずかしくなりました。」それは、自分の気持ちひとつで、合氣道を続けて来られたのではなかったかという気持ちがあったからです。それでも私が覚悟を決めて復帰するまで1年程かかったと思います。このような話も昔のことになってしまいました。(後編に続く)

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